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三浦書店出版『法律文献の引用法−アメリカ法を中心に−』監修者前文より

日本語版にあたって

山本信男   

 

 

 今から10年位昔のことである。コロンビア大学の professional librarian として勤務するかたわら、ロースクールの講義に出席させてもらった。アメリカの多くの大学では librarian に対する研修・再教育の一環として、毎週一定時間大学の講義に出席することが許されており、各種の degree を取得できるようになっている。私も、この制度に便乗させてもらった訳である。

 講義の許可をもらってから、必要なテキストその他を入手するためにブックストアーへ出かけた。ロースクールのテキスト類は、一般のブックストアーではなく、ロースクールの中に臨時に設けられるブックストアーで取扱っている。講義内容その他のオリエンテーションも合わせて行っているためであろう。この翻訳書の原書である“A Uniform System of Citation”を初めて手にしたのはその時であった。文庫本くらいの小さな何の変哲もない本で、確か当時1ドル50セント位だったように思う。現在は、版を重ねて内容を一新するとともに、版型もA5版に改められ、外見上も立派なものに変わっている。表紙が空色のためであろうか、学生の間では“Blue Book”と愛称されているこの本は、文字通り法律を学ぶ学生の必携書である。新入生は講義のテキストとともに必ず購入すべき図書として指定されており、ブックストアーにうずたかく積まれていたのを思い出す。

 アメリカの大学は宿題が多いことで有名であるが、私が出席した科目 Legal Bibliography も例外ではなく、毎週 assignment が課せられた。その内容は判例・法令の検索が主であったが、解答にはその出典を明示するための citation が必要不可欠で、たとえ解答が正しくとも citation が間違っておれば、その解答の評点はゼロであった。すなわち、引用すべき文献とその引用形式が、解答と同様に重視されている訳である。解答を導き出したプロセスを、誰もがフォローできるようにするためであろう。このような考え方の中に、アメリカ社会の公平・平等の思想を感じとることができるように思う。

 飛躍するが、legal citation は、アメリカの法律家の間の一種の言葉といえるように思う。 citation を通じて、法律家どうしが話をしあっている。お互いが主張し立論しようとしていることの論拠を、 citation という言葉を使って説明しているように思う。したがって、 citation という言葉が分からなければ、アメリカの法律家の仲間には入れない訳である。

 コロンビア大学に勤務していたある日、ロースクールの教授が、『民商法雑誌』を持って私の所へやってきた。この教授は、日本語を全く読めない人である。彼はそれを見ながら、「この論文は読めないが、大体何について書いてあるかは citation を見れば分かる。しかし、この citation は間違っている。 citation が正しくないということは、論文を読む相手に自分の論拠を正しく伝えたことにはならない。したがって、この論文がたとえどんなに立派な内容であろうとも、それは自己満足にしか過ぎない」と私に語った。このように、 citation によりその内容を評価し、論文の良し悪しを判定する彼らの態度に驚かされた。これほどまでに、アメリカの法律家は citation を重視し、自分達の言葉を大切にしている。

 また、“Blue Book”にまとめられている、引用すべき法律文献およびその引用形式を見ていると、これはまさしくアメリカの民主主義そのもののような気がする。厳格すぎるとさえわれわれ日本人には感じられるこれらの基準は、アメリカだからこそ考え出されたものであろう。周知のようにアメリカは多民族国家である。それぞれ異なった歴史、風俗、習慣を持った人達から成る社会には、公認された1つの明確な基準が必要であろうし、その基準は誰にでも理解できるものでなければならない。すべての人々が同じ土俵で物を考え、議論することが、民主主義の基本のように思う。アメリカの法律家にとって、 citation は、法律的に考え、論じ合うスタートラインであり、公認の基準である。この基準に従えば、すべての人々が法律的な話し合いの輪の中に入ることができる。そういう意味で、私は citation にアメリカの民主主義そのものを見ることができると思う。

 この度 citation というアメリカ法の根幹にかかわる重要なトゥールをわが国に紹介するに当り、改めて感じたことは、開かれた基準の重要性である。意見そのものの内容いかんにかかわらず、少なくとも他人と話しあうための基準の持つ意味の大切さである。それが単に装飾的・形式的なものではなく、内容そのものを伝えるための実質的な言葉である場合には、その基準の持つ意味はより重要であろう。アメリカ法の分野に、アメリカ法を語るための言葉ともいうべき citation が存在することを日本の法律家が知ると同時に、これらの言葉を駆使して、アメリカの法律家と対等に話し合えるようになることを念願している。それが、相互理解、相互協力につながる大切な道だろうと思うからである。